THE BOOK

Posted on 8月 29th, 2008 in by 兵庫県社会福祉士会

ここでは、ひよこ通信の THE BOOKのコーナーで紹介された本を、抜粋してご紹介していきたいと思います。

■ひよこ通信 2006年 夏号

 子を持つ母親である私ですが、今までいわゆる“育児本”というものは“子どもの育て方”を押し付けられそうだと思い、読んだことがありませんでした。 しかし、去る8月5日、我が兵庫社会福祉士会の講演会に著者の北村年子さんが講師としてお話してくださり、そのお人柄や、講演会の予習のために読んだ『大阪・道頓堀川「ホームレス」襲撃事件―“弱者いじめ”の連鎖を断つ 』での切り口などから、ぜひ読んでみたい!と思い、購入いたしました。(ちゃっかり北村さんのサインも頂きました) 
 “育児本”かと、思って読み始めたのですが、『こうしなくちゃ駄目』とか『ああしなさい』のようなことは一言も書かれておらず、逆に、偏見で凝り固まった頭を柔らかくしてくれ、肩の力を抜いてくれるものでした。 また、『受容』や『傾聴』、『エンパワメント』など、社会福祉士の教科書等で小難しく書かれてある言葉も、わかりやすく書かれてあり、これらの大切さも再認識できました。(教科書では『受容』や『傾聴』がどう『エンパワメント』に繋がるのか、いまいち理解できなかったのですが、やっとこの本で繋がったような気がします。) 段落ごとに、自分自身や子どもへの接し方についてのワークが添えてあり、“読んで終わり”ではなく、自己の振り返り・軌道修正もできる仕組みになっています。 題名は「おかあさんが…」となっていますが、おかあさんや子どもと関わる人だけではなく、他者と関わるすべての人にぜひ読んで頂きたい一冊です。

(葛西 三輪)
 寺尾聰のあの雰囲気がとても好きで、観たいと思いつつ、叶わなかった同名映画の原作本で、2004年、読売文学賞、本屋大賞を受賞した作品でもあります。 80分しか記憶が持たない博士、家政婦、その子√(ルート)と未亡人のお話です。 「ぼくの記憶は80分しかもたない」博士の背広の袖には、古びたメモがクリップで留められています。クリップ留めのメモは、新しい事柄を追加するたびに増えていくので、博士が動くたびにカサカサと音を立てます。初対面の家政婦に、博士は「君の靴のサイズはいくつかね」と聞くのですが、この質問は、毎日続きます。ある時、博士は、家政婦が仕事で自分の家に来ている時には、子どもが一人で留守番していることを知り、家政婦を叱り、翌日から連れてくるよう命じます。 √と言う名前は、頭が平らなところから、博士が子どもにつけたニックネームです。不思議な生活の始まりです。要所要所に登場する未亡人は、亡くなった博士の兄の妻にあたります。生涯で、博士はこの女性だけを愛しました。80分の記憶すら壊れてしまい、施設で暮らすことが決まった日、未亡人は、家政婦に言います。「義弟は、あなたを覚えることは、一生できません。けれど、私のことは、一生忘れません。」 「美しいと思わないかい。」数式に対し、博士が口にする言葉です。数多くの数式が私を楽しませてくれ、織り成す人間模様はとても感動的でした。また、読んでいて、音、色など感覚的に映し出される描写も好きでした。心温まりますよ。お薦めの一書です。

(三浦 加代子)
 
 モーツァルト生誕250年の記念の年に、彼の悪口を言う考えは毛頭ないが、彼は幸せであると思う。
 つい先年(1991年)、没後200年の年であったのに…今年、生誕250年とは、というのは35歳という短命であったためである。 J.S.バッハなんか、2000年に没後250年を迎えたが、65年も生きたため、次は2035年の生誕350年までメモリアルイヤーがない。 しかし、冷静に考えると、これは言葉のトリックで、まったくの間違った考え方である。時間が100年しかないとして、誕生日が1回、命日が1回は平等で、要するに何年生きたかである。メモリアルイヤーは、平等の数だけ訪れる。 ケアマネの受験勉強中、貴重な時間を無駄にしてしまった? これも仕事のストレスから生じたものなのか、ともかく今の職場は、(いやではないが)男2人、女20人というすごい職場である。委託業者の職員を含めると、有機化学の分子記号のように複雑になってしまう。共同募金の石原さとみの小さなチラシを見ていると、「ロリコン!」と非難の嵐が来る。 月刊誌「音楽の友」7月号読者投票によると、今年の「あなたの好きな作曲家は?」1位モーツァルト(1474票)、2位ベートーベン(1248票)であった。(2001年以前の読者投票では、ベートーベンが首位、モーツァルトは2位)

 なぜ、今年モーツァルトが首位になったのかは、やはりメモリヤルイヤーであることが大きい。

 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは短命であったが、多くの評論家、学者は、十分有名な作品を数多く残したのだから幸せであるといわれている。

 モーツァルトの作品の中で私は、「交響曲第40番」と「レクイエム」と「ピアノソナタ第11番」が好きだ。「フィガロの結婚」は傑作である。

 交響曲第40番は、後にも先にもこれほどすばらしい交響曲はない。最高のシンフォニーといっても過言でない、もう、だれが作曲したかは、どうでもいい…

 この曲を最初に聴いたのは、高校2年の時である。この時、誰を恋していたかは忘れてしまったが「この曲は恋の曲では」と教師に言った覚えがあります。

 人間というものは、都合のいいもので、野の花一つを見ても、嬉しい時、充実している時、恋している時は、美しく見えるもので、苦しい時、落ち込んでいる時はそう思わない(見ようともしない)。

 最初に聴いたレコード盤は、ヨゼブ・カイルベルト指揮 バンベルグ交響楽団演奏のもので、そのジャケットにはこのような解説が載っている。 第1楽章 アレグロ・モルト

 冒頭のヴァイオリンが奏でる哀感をこめたしなやかな旋律に、早速に心を奪われてしまいます。・・・この楽章を耳にすれば、誰しも、終生わすれることができないと思います。

 同じ曲でも、指揮者、演奏家によって感じ方、意味合いがまったく違う。カール・ベームはやや荘厳、ブルーノ・ワルターは、ポイントを強調する。いずれも名演奏。一度カラヤンが聴きたい。

 モーツァルトは、わずか2ヶ月で、交響曲第39番、40番、41番を作曲しています。5歳の時から作曲している。父が音楽家というにしても、やはり天才。

 レクイエムは未完成でモーツァルトの死後、弟子のジュスマイアたちによって完成された。これは貧窮の中に残された未亡人コンスタンツェが収入をえるため完成を希望したためといわれる。

 1791年12月5日にモーツァルトは息を引きとります、その年の9月に友人宛、見事な手紙を送っています。

 もうびくびくすることはありません。何をするにつけても、もう最後の時が告げているのを感じます。まさに息も絶えだえです。十分の才能を楽しむ前に、終わったのです。それにしても、生はあんなにも美しいものでしたし、生涯の道も、あのように幸運な前兆のもとに開かれました。しかし自分の運命は変えられません。何びとも自分の命数を数えられるものではなく、あきらめが肝腎です。何ごとにも摂理の欲するとおりになりましょう。これで筆をおきます。これ(レクイエム)は私の葬送の歌です。完成せずにおくわけにはまいりません。

 レクイエムとは、死者のためのミサ曲。養護老人ホームの職員がこの曲を推奨するのは不躾であるが、他の作曲家のレクイエムもいい曲があるんです。でも、モーツァルトが最高。

 ピアノソナタ第11番、今、私はバイエルのエチュード4・5・6を習っているが、いつか、この曲を弾ければ、と目標を設定している。フィガロの結婚、その物語、現在も十分通用する。

 モーツァルトの手紙も、私が引用した手紙がいちばんいい、でも、他の手紙も読んでください、この手紙が一番いいときっと思いますので。

 ・・・・・死とは・・・モーツァルトを聴けなくなることです。・・・アルバート・アインシュタイン

(中川一夫)

■ひよこ通信 2006年 夏号

 「動物農場」は、社会主義の皮をかぶったファシズムへの批判を込めた作品です。
 ある農場で、人間に従事していた動物たちが奮起し、人間の支配から革命を起こすところから始ります。人間を追放した後の動物農場は、全平等原理によって、動物たちは統一を図りますが、知恵の差で徐々に支配階級と被支配階級に分裂していく様子が絶妙に描かれています。独裁者である豚は、自分の利益のために次々と理想をねじ曲げます。その時の言い草は、実にこっけいです。 しかし、そのような独裁者の主張がことごとくまかり通ります。主張がまかり通る理由は他の動物たちの無知だったり、威圧だったりします。独裁者である豚の言い草もこっけいですが、それを受け入れてしまう他の動物たちの姿もこっけいです。

 当初、豚が傲慢な人間を追放する演説をする姿があります。物語の最後には、その人間とまさに同じ姿の豚がいて、他の動物たちは人間なのか豚なのか見分けがつかなくなります。私もわからなくなってしまいました!

 ソビエト時代の全体主義の批判を書いたものですが、今の時代にも充分当てはまります。豚の主張が巧みな情報操作によって、まかり通る姿は、大衆の危うさを表現しています。

 近年福祉の分野でも制度改革があり、日々制度を理解するのに精一杯です。しかし、ただ単なる制度内容や通説になっている背景ばかりが真実と理解するのは危険です。特に福祉制度は、人の生活に直結する制度だからこそ、福祉分野のみならず、政治経済など様々な分野からも検証できる力を養う必要があると感じました。

 時代背景を知って読めば、さらに面白いと思います。予備知識がなくても、振り返れば自分の身の周りや、時に自分自身に重なることも多いはずです。面白くて怖い本です! ぜひ、ご一読ください。

(神戸市東灘区社会福祉協議会  森井 恵子)

■ひよこ通信 2006年 春号

 江戸川乱歩賞受賞作で、ファンの多い作家、宮部みゆきさんが推薦するミステリー小説です。

 記憶を喪ったため死刑囚に仕立て上げられてしまった無実の若者の罪を、刑務所の刑務官と、入所歴を持つ若者が「無罪ではないか?」という疑問のもと、冤罪を晴らすために2人で私的捜査を始めます。

 死刑囚の死刑執行へのタイムリミットが刻々と迫っていきますが、果たして・・・。

 この本の著者は、小説のテーマとして死刑や刑罰をとりあげていますが、刑務官の心の動きを通じて読者にあることを問いかけます。それは「国が行う刑罰は何のために存在するのか」ということです。

 犯罪者に対し「報復」するためでしょうか?それとも社会的に「教育」するためでしょうか?

 「応報刑」「目的刑」という、刑法の歴史上論争がなされた刑罰の意義が物語の随所に現れ、その存在理由を考えさせられます。

 特に子どもに対する凶悪な犯罪が頻発し、「犯罪被害者支援」の必要性が強調される昨今、児童福祉の一端の仕事に携わっている私にとってはなおさら、刑罰の存在理由を考え直さずにはいられませんでした。

 ミステリーという分野は普段は読まないのですが、最初から最後まで格段に知的で、展開がダイナミックなこともあり、夜が更けるのも忘れて読んでしまった長篇です。どれくらいおすすめかといえば、星5つ☆☆☆☆☆!でしょう。

(唐津 史朗)

■ひよこ通信 2006年新春号
生き方上手
日野原重明(著)ユーリーグ(株)
聖路加国際病院理事長・同名誉院長

「90歳超えた医師からあなたへの贈物」との見出しで始まる「生き方上手」は、「いきいき」という雑誌の連載を整理したものだそうですが、発刊後4年を経た今日でもロングランを続けている秘密は、医師を天職とする筆者の人間に対する深い洞察から醸成された言葉のひとつひとつが、読者の胸に強く響くからでありましょう。まさに、上手に生きるための書といえます。

  はじめに、スイスの哲学者カール・ヒルテイ著「眠れぬ夜のために」の一節から、“人生の幸福は困難に出会うことが少ないとか、まったくないというのではなく、むしろ、あらゆる困難と戦って輝かしい勝利を収めることにある”という言葉を引用し、さらに、オーストラリアの精神医学者ビイクトール・E・フランクルの“幸せは決して目的ではないし、目的であってもならないし、さらに目的であることもできません。それは、それは結果にすぎないのです。”を紹介している。 
  高齢者に達した私としては、まったくの同感であり、私自身が生きた証人と申せます。著者は結論的に、“本当の不幸は災難それ自体をいうのではなく、それを契機に一切の望みをもてなくなったことから始まる”と申されております。人生の師として、長年にわたるご経験から来る至玉の名言と思います。また、医師としての、”治す医療から、癒す医療へ“との提言はターミナルケアについて、的確に言い表せていると思います。
 福祉・介護に携わる人間として、心すべき言葉と思います。いずれにしましても、「人生の指針となる書」としてぜひお勧めしたいザ・ブックです。

(伊地知 正治)

■ひよこ通信 2005年 秋号

「すてきな 三にんぐみ」
トミー=アンゲラー作
 いまえよしとも 訳

あらわれでたのは、くろマントに、くろいぼうしの三にんぐみ。それはそれはこわーい、どろぼうさまのおでかけだ。ブルーグレーの背景に、真っ赤な大まさかり。黒い帽子に黒マントの三人のぎょろりとした白い目が光る表紙。

ご紹介する絵本は、1969年にアメリカで出版され、140回以上増刷されたロングセラー作品です。3人の山賊は夜な夜な山を降りては馬車を襲い、金銀宝石を奪う恐怖の存在。ところがある夜、山賊に出会いが訪れます。襲った馬車の乗客、みなしごのティファニーちゃんに「いじわるなおばさんと暮らすより、おじさんたちと暮らすほうが面白そう!」と喜ばれてしまったのです。隠れ家に連れて帰った少女に宝の山の使い道について聞かれ、山賊は困惑します。これまではどうするつもりもなかったのです。そして、3人の山賊はお城を買い、孤児を集め、一緒に暮らし始めるのです。

アンゲラー作品は、蛇、ワニ、蛸、山賊など、普通絵本の主人公になりにくいメンバーが多く、ストーリーも山賊が孤児救済にかけ廻るといったように意表をつく、シニカルな面が見られます。毎日「よんで!」とこの絵本を選ぶ息子たち。親戚より山賊を選んだティファニーちゃん。夢と現実とが、ごちゃまぜで、タンポポもだんご虫も隣のオジサンも同列においてしまう子供の面白さ。絵本を読みながら、子供の鋭い感性に驚いたり、大人になって忘れていた、様々な幼い頃の思いに再会しています。

(錦織 加奈子)

■ひよこ通信2005.夏号 目次 No.43

「雲の言葉」

 見ているだけで勇気がわいてくるヒーリング、フォトカードブック。一度手にしてみてください。心が晴れやかになりますよ。雲があなたを呼んでいます。PIE Booksより発行されています。ポストカードにもなって一石二鳥ですよ。

 ぜひ、お手元に!

(橋爪 太郎)

■ひよこ通信 2005.春号 目次 No.42

「千の風になって 新井満」

紹介する‘詩’の英語詩は欧米では有名で、日本では、朝日新聞の天声人語で紹介され、昨年映画も上映されたそうです。ですからご存知の方も多いかと思います。私はまったく知らず、この詩と出会ったのは1ヶ月前。いつも私がいく病院の壁に貼ってありました。そこには…

私のお墓の前で泣かないでくださいそこに私はいません 眠ってなんかいません

千の風に 千の風になって

あの大きな空を 吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ

冬はダイヤのように きらめく雪になる

朝は鳥になって あなたを目覚めさせる

夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください

そこに私はいません 死んでなんかいません

千の風に 千の風になって

あの大きな空を 吹きわたっています

千の風に 千の風になって

あの大きな空を 吹きわたっています

あの大きな空を 吹きわたっています

 読み終え、私はしばらくその壁から離れることができませんでした。心の中で何度も読み返しました。とても優しい気持ちに包まれ、心がゆっくりと穏やかになっているのを感じていました。この詩のことをもっと知りたくて、ドクターに尋ねると、「新井満さん」というキーワードを教えてもらいました。早速、本を購入すると、美しい写真と共に、この詩の謎が説明されていました。私はこの詩から色々なことを感じ、不思議なくらいパワーをもらいました。皆さんはどんなことを感じられたのでしょうか。またいつか、どなたかとこの詩のことで、お茶でもしながら、お話できたらうれしく思います。

(田村 昭子)

■ひよこ通信 2005.新春号

『夏の庭-The Friends-』
 湯本香樹実 新潮文庫

 小学6年生のぼく(木山)とその友人の山下・河辺の3人はどこにでもいるような普通の少年たち。彼らは山下が祖母のお葬式に出席したことをきっかけに「人が死ぬ」ということを見てみたいと思うようになります。町外れに”死にそうな”おじいさんが1人で暮らしているのを知った3人は、彼を夏休みの間「観察」することにして・・・・。

 物語が中盤に差し掛かった頃、ぼくはこんなことを考えます。『死んでもいい、と思えるほどのなにかを、いつかぼくはできるのだろうか。たとえやりとげることはできなくても、そんななにかを見つけたいとぼくは思った。そうでなくちゃなんのために生きてるんだ。』この言葉は私に生きることの意味を考えさせてくれました。初めて読んだ日から10年近くたった今改めて読み返してみても、その輝きは失われていないと感じます。

 また、死にそうだと噂されていたおじいさんは少年たちとの交流によって、生きる力を取り戻していきます。『生きているのは、息をしているってことだけじゃない』 ぼくの澄んだ心は、誰とも関わりを持つことなく1人でただ生きることの虚しさや哀しみを敏感に感じています。本当の幸せは他人とのささやかなふれあいから生まれるもの。それはいつも何でもない日常に隠されているけれど、どんなものにも代えがたい人生のエッセンスなのだと思います。

ストーリーや結末にあっと驚くような仕掛けがあるわけではないのですが、生きることのすばらしさがおじいさんと少年たちとの交流の中に見事に描き出された作品です。映画版もありますが、湯本さんの文体のあたたかな雰囲気を味わうためにぜひ原作を手に取っていただきたいと思います。

(西村 亜矢子)

■ひよこ通信 2004.秋号

「読むクスリ」
   上前淳一郎(著) 文芸春秋 刊

「週刊文春」に掲載されていた“企業版ちょっといい話”のコラムを集めた本で、NHKテレビの「プロジェクトX」が始まるかなり以前から、社会の第一線で活躍する人々の、心温まる話、ビジネスでの苦労話、心に残って、ためになるエピソードなど本人に直接会って取材して生の声を載せています。

 「ザ・BOOK」が、ひよこ通信の中の「息抜き」のコーナーであるように、「読むクスリ」は(新聞社系以外での)硬めの週刊雑誌の中ではホッとする文体で、一般の会社に勤めていた頃、電車に揺られながら「読むクスリ」を“服用”するのが楽しみでした。

 本のオビには、“企業版~”と書いてありますが、もちろん福祉関係者にも効能が合うよう「人間関係のストレス解消に」がサブタイトルになっています。副作用の心配もない「読むクスリ」はおすすめです。♪ピンポン

(現在単行本で37巻ぐらいまで発行されています)

(水野 栄)

■ひよこ通信 2004.新春号

「蒼穹の昴」 浅田 次郎 著(講談社)
1996年4月18日刊行 上巻1748円 下巻1800円

 現在のところ、私の中でこれを越える作品はありません。貧しい農民の子・春児(チュンル)と富商の次男坊・文秀(ぶんしゅう)が、清朝末期の中国を舞台に、前者は宦官として、後者は官僚として、それぞれの道を歩んで行く姿を中心に描いた、歴史大河です。あらゆるところに張り巡らされた伏線が、ラストに向かうに従い収束されていく様は「さすが」の一言です。 原稿用紙1800枚もの超大作ですが、長さなどまったく気にならず、一気に読めてしまうこと必至ですので、ぜひご一読を!

(金川 未来)

  ■ひよこ通信 2003.秋号 No.36  私は職業柄、年金について精通していないと仕事になりません。でも、MSWだけでなく、他の職種の方にも読んでもらいたく、ご紹介させていただきます。

「年金のことなら、この1冊」

 題名は「あなたは年金をもらいそこねていませんか?-法令改正最新版-」、出版社は「ブティック社」、著者は「社会保険労務士・飯島幸英」です。値段はなんと、400円プラス消費税というリーズナブルにも関わらず、内容はQ&A方式で老齢年金、障害年金、遺族年金について簡潔に書かれています。

 どこの本屋さんでも売っているようです。皆さんもぜひ、読んでみてください。

(橋爪 太郎)

■ひよこ通信 2003.春号 No.34  北海道浦河市にある精神障害の共同住居「べてるの人々」は、一人ひとりの意見や判断に先立つ規則や管理を排除し、ぶつかり合いと出会いによって成り立っている。

「悩める力」…べてるの家の人びと
斎藤道雄 みすず書房

 飾り、気取り、自分を作ろうとすれば、どこか破綻してしまう人々が、「べてる」の“そのままでいい”というメッセージに触れ、長年背負ってきた重荷をほどかれ、自らとの和解を果たす。自らの弱さをさらけ出し、認め合い、弱さを絆に暮す人々は、底の底から光を見出し、魂の安らぎを得る。

 「べてる」を訪れた人々は、そんな彼らと共にいるうちに、自分自身があぶり出されてくることに気づく。ジャーナリストである著者もまた、半年間の関わりを経て、自分自身に向き合わされ、涙と共に自分自身と和解し真に「べてる」との出会いを果たす。いわゆる対人援助の前に人間存在の意味、生き方が問い直されなければ、真の出会い、共に生きるスタンスは生まれないのであろう。深いメッセージを放っている1冊です。

(中西 真理子)

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医療・看護・福祉のためのデス・エデュケーション入門
浅田高世 メディカ出版
著者は、大学卒業後高校の生物学教師をされています。9年前にご主人を肺がんのために亡くされ、その後社会福祉士の資格をとり、大阪社会福祉士会に所属です。現在、精神保健福祉士にもチャレンジ中です。題名は少し硬いですが、医療・看護・福祉の分野に進もうとする若い人たちへのメッセージがいっぱい詰まっています。

(坂本 節子)

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なぜか人に「あなたと一緒なら」と思われる人の共通点
斎藤茂太 新潮社
「人生は悠々と急がず焦らずいきたいものだ」 かくいう著者は精神科医で歌人だった斎藤茂吉の長男、同じく精神科医の斎藤茂太氏。誕生日に自分のために買った一冊でもあります。

他者との関係の中で同じようなニュアンスで言われた言葉でも、素直に耳を傾けることもできればカチンとくることもある、そんな経験ありませんか?

態度一つにとっても然り。もちろん話し手の問題もあったりしますが、遠目から見て見ると聞き手自身の受け取り方に問題があることもあります。腹を立てている方、つまり、聞き手は問題の真っ最中である「自分自身」だったりするので、自分自身の受け取り方に疑問を投げかけることは少なかったりするのです。

この一冊には家族や友達、その他周りの人との心地よい距離というのを感じました。

ストレス社会と言われている今こそ、楽しくポジティブに物事を捉えていけたらステキだと思いませんか?

(小林 妙子)

■ひよこ通信 2002年 秋号
『天使のみつけかた』
おーなり由子 著 新潮社

 仕事に疲れて、人間関係もうまくいかなくて、心のゆとりをなくしていた時に、書店で手にとったのが、この本です。息抜きをするコツが載っているかもしれないと思い、パラパラとめくってみました。ほのぼのとしたイラストと文章に惹かれ、買って帰りました。

 涙を流している時も、出会いも別れも、春になると眠くなるのも、「ワビ」・「サビ」といった感覚も、近くに天使がいて、天使の仕業なのだそうです。サンタクロースや飛騨高山の“さるぼぼ”も天使かもしれないと、おーなり由子さんは言っています。金髪の小さな子供で、背中にきれいな羽がついているというだけが天使の姿ではなく、見る人によっていろいろに見えて、いろいろな姿の天使がそこらじゅうにいるのだそうです。

 日頃の忙しさも天使の仕業なのかもしれないけれど、天使に話しかけてみれば何かステキなことが起こるかもしれません。

 天使の種類や天使をみつけるコツを知りたいと思われたら、ぜひ読んでみて下さい。

(前川いづみ)